連載「つたえること・つたわるもの」(87)
〈医師〉〈治療〉の司命を、古代漢字とやまとことばで考える。
連載 2020-04-14
一つのキーワードは「君子醫(優れた医師)」である。前々回のコラムに書いた「上医は国を医(いや)し、中医は民を医(いや)し、下医は病を医(いや)す」でいう上醫(中醫)のニュアンスに近い。もう一つは「司命(仁愛の心を以て人々を救い、生き死にをつかさどる術)」という重要な職分である。
今回は、私たち患者が医師に期待する「赤ひげ先生」⇒〈医(醫)〉のイメージと、全ての患者を救うための医療行為⇒〈治〉が究極的に目指すものについて、漢字学の泰斗、白川静さんの字書三部作『字通』『字訓』『字統』を参考にして、中国の古代漢字(甲骨文・金文など)の語源と成立ち+やまとことば(日本のことばで中国の漢字を訓読)の味わいを通して考えてみたい。まずは、「医」から調べてみる。
★医〔醫・毉〕イ・エイ/くすし・うつぼ・いやす 古訓(名義抄:クスシ/篇立:イシ・クスリ) 医は矢を匚(はこ)に収めている形。字はいま醫(い)の略字として常用字に用いる。醫は殹(えい)に従うが、殹は呪器としての矢を殹(う)つ形で、それが古代医術の方法であった。匿(とく)が秘匿のところで巫舞(ふぶ=巫女による舞い)を行うことを示す字であるように、これに向って祝祷し、これを殹ち、その呪霊によって病魔を祓(はら)うことをいう。矢を呪器としてこれを敺ち、病魔を祓う呪的行為を毆(殴)という。またそのかけ声を殹(えい)という。酉は酒器。古代の医は巫医(※巫女と医師、または両者の役割を兼ねた者。古代医療では巫女が医師を兼ねていた)であった。
☆くすり〔薬(藥)〕 医を「くすし」というのに対して、その薬餌をいう。「くすし」は「くすりし」の意。/☆いゆ〔愈・癒・療・差〕 病気や傷などがなおる、全快することをいう。「いやす」は他動詞。
さきに紹介した「上医は国を医(いや)し~」を、ネット上には「上医は国を医(なほ)し~」と訓読する例もあるが、「医」という漢字がもつ本来の意味、「医」の使命(ミッション)とは、肉体の病気を「治(なほ)す」だけでなく、身心(身も心も)まるごと「癒(いや)す」ことではないだろうか。新型コロナウイルスと苦闘する2020年のいまこそ、「巫女(病魔を祓う平癒の祈り)」と「医師(手技の施術や生薬の投与)」という役割を、二つながらに大切にした古代医療の原点を見直したいものだ。また、国語辞典で「医療」を引くと「医術・医薬で病気やけがを治(なお)すこと」とあるが、「療」は「疒(だく=寝台に病者が仰臥する形)+樂(りょう=手鈴の形)」の形声文字。シャーマン(巫女)が手鈴を振って寝台に横たわる病者の病魔を祓う呪術の意であり、「療」の訓読(やまとことば)は「治(なほ)す」ではなく、「いやす・いゆ・つくろふ・をさむ・すくふ」である。次に「治」を調べてみよう。
★治 チ・ジ(ヂ)/おさめる・まつりごと 古訓(名義抄:ヲサム・タモツ・マツリゴト) ①おさめる、水を治める、洪水を治める。②正しくする、平らかにする、定める。③世を治める、まつりごとをする。④心をおさめる、身をおさめる。⑤ととのえる、なおす、なす、たすける。
☆をさむ〔治・修〕 長として他を支配し、統治することをいう。長(をさ)を動詞として活用したもの。さらに乱れているものを然るべく整える意となる。/をさむ〔収・蔵〕 「治む」と同じ語であるが、ものを整えて収納することをいう。もと乱れたものを治めるというように、本来のところに返す意のある語である。/まつる〔祭・祀〕 神霊にものを供えて拝すること。神のあらわれるのを待ち、その神威に服することをいう。「待つ」と同源の語。
現代の私たちは、「治」を「治(なお)す」と訓読することが多いが、本来は「治(おさ)める」である。もともと農耕のための治水(洪水から田畑を守る)を意味する字で、為政者の力による支配と合わせて、治水による生産の保護をあらわしていた。やまとことばの「まつり」はその宗教的権威とその儀礼によって生産を保護し、それが永続的に安定的に行われることが「まつりごと(政治)」であった。
また、中医学(中国の伝統医学)や日本漢方を学ぶテキスト『黄帝内経』の一文を、一般的には「聖人は已病を治(なほ)さずして、未病を治(なほ)す」と訓読し、「聖人(優れた医師=上医)は病気に罹ってから治すのではなく、未だ病気があらわれない段階で治す」という解釈するが、これをたとえば「聖人は已病を治(をさ)めずして、未病を治(をさ)める」と訓読すると、「上医は病気に罹ってから身心の乱れを治めるのではなく、まだ病気になる前の段階で身心を整える(治める)」と解釈できる。
新型コロナウイルスは動物からヒトへ、ヒトからヒトへ、ヒトから動物へと感染を繰り返しながら、その姿をどんどん変えていく。このウイルスを地球上から完全に排除することはむずかしい。それでも、古代中国で黄河の治水事業を成功させた伝説上の人物で夏王朝の創始者、禹(う)のような医師(上医・君子醫)が、あるいは集団免疫(ある感染症に対して多くの人が免疫を持っていると、免疫を持たない人に感染が及ばなくなるという考え)という姿であらわれ、新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大を早期に治(おさ)め、世界の人々の傷ついた心身を医(いや)す日も、そう遠いことではないかもしれない。
いまは我慢のとき。三密を避けて、外出自粛! ボリス・ジョンソン首相もツイッターで叫んでいる。
「ステイ・アット・ホーム(家から出ないでください)」
【プロフィール】
原山 建郎(はらやま たつろう)
出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員
1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。
2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。
おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。
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