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白耳義通信 第109回

アントワープと二つの宝石の物語

連載 2025-11-17

 日本ではアントワープ Antwerpenと聞くと、『フランダースの犬』の舞台というイメージを持つ人が多いかもしれません。けれど実はこの街、世界のダイヤモンド産業の中心地として知られています。世界で流通するダイヤの多くがアントワープを経由し、研磨技術もトップクラス。そんな「ダイヤの都」らしい出来事が、このひと月で二つ続けて起こりました。

 一つ目は、アントワープの職人ピーター・ヘルボス氏 Peter Herbosch が、世界最大の黒い研磨ダイヤモンド「ブラック・ファルコン」を完成させたというニュースです。黒いダイヤモンドは、内部の結晶が不規則に入り混じっているため、普通の方法ではほとんど削れない「ほぼ不可能な素材」として知られてきました。何年研磨盤にかけても傷一つつかないほど硬いのです。

 しかしヘルボス氏は機械技師と協力し、ダイヤの粉と特別なオイルを使う独自の研磨機を開発。さらにレーザー加工の技術を組み合わせ、約7年という長い時間をかけてついにハヤブサの頭の形に磨き上げました。重さは612カラット。アントワープの技術力が世界でも特別なものであることを示す象徴的な作品です。

 そしてもう一つが、100年以上行方不明だった「フロレンティンのダイヤモンド」の発見です。この大きな黄色い涙型の宝石は、かつてオーストリア=ハプスブルク帝室の象徴でしたが、第一次世界大戦後に忽然と姿を消し、長く「歴史の謎」とされてきました。

 その秘密を長年知っていた人物こそ、先日日本を訪れ、天皇皇后両陛下や敬宮愛子さまとも会われた、ベルギー王女アストリッドの夫ロレンツ王子でした。実はロレンツ王子は、オーストリア皇帝カール1世の子孫であり、ハプスブルク家の公爵でもあります。ベルギー王室と、ヨーロッパ史に名を残す大帝国の血筋が、静かにつながっていたのです。

 フロレンティンのダイヤは、第二次世界大戦前に亡命したツィタ皇后(皇帝カール1世の妻)によってカナダへ持ち出され、そのまま現地の銀行の金庫に保管されていました。秘密は子どもへ、そして孫のロレンツ王子へと受け継がれ、家族だけが100年間守り続けてきたのです。最近になり、王子たちがカナダの金庫を訪れ、宝石商の鑑定によって本物であることが確認されました。

 研磨不可能と呼ばれた石を七年かけて磨いた職人の物語と、100年にわたり家族によって守られてきた帝室の宝石。それぞれ全く異なる背景を持ちながら、どちらも「時間をかけて受け継がれるもの」というテーマでつながっています。そして、その中心にあるのがアントワープという街です。

 『フランダースの犬』で描かれた静かな街並みの裏側には、世界の宝石の歴史と技術が交差する、もう一つの顔があります。小さな街アントワープには、今も時間を超えて輝き続ける物語が息づいています。

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