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連載「つたえること・つたわるもの」(112)

21世紀のアメリカを生きる、現代の「ノマド」たち

連載 2021-05-11

出版ジャーナリスト 原山建郎

 ゴールデンウイーク初日(4月29日)、ことしの第39回アカデミー賞で、作品賞、監督賞(クロエ・ジャオ)、主演女優賞(フランシス・マクドランド)を受賞した話題の映画『ノマドランド』を観に行った。

 一つ目の理由は、すでに『ファーゴ』(1996年)と『スリー・ビルボード』(2017年)でアカデミー賞主演女優賞を獲得し、今回が三度目の受賞となったマクドランドの魅力に惹かれたからである。

 二つ目の理由は、映画の原作となった『NOMADOLAND Surviving America in the Twenty-First Century(ノマドランド 21世紀のアメリカを生きのびる)』(2017年/邦訳は『ノマド 漂流する高齢労働者たち』(ジェシカ・ブルーダー著、鈴木素子訳、春秋社、2018年)の内容に注目したマクドランドが、早々とその映画化権を獲得した、その熱意に魅せられたこと。

 三つ目の理由は、現代に生きるカウボーイの姿を描いた映画『ザ・ライダー』をトロント国際映画祭で見ていた彼女は、自身2度目となる第90回アカデミー賞(主演女優賞)受賞の前夜、『ノマド』の製作者として中国人の女性監督、クロエ・ジャオに、同作品の監督オファーを出したこと。

 四つ目の理由は、プロの俳優であるフランシス・マクドランド(主役のファーン)とデヴィッド・ストラザーン(後半で重要な役を演ずるデイヴ役)以外のキャストは、リンダ・メイ(ファーンのノマド仲間)、ボブ・ウェルズ(ノマドのまとめ役)など、実際のノマドが実名出演していると聞いたからだ。

 ところで、「読んでから見るか、見てから読むか」といえば1970年代、角川映画・角川文庫を同時ヒットさせた宣伝コピーだが、今回は原作の『ノマド 漂流する高齢労働者たち』にざっと目を通し、本命の映画『ノマドランド』をじっくり鑑賞したあとで、もう一度、原作をしっかり読み直すことにした。

 著者のジェシカ・ブルーダーは、サブカルチャー(比較的新しく登場した独自性のある文化)や経済問題を中心に取材・執筆活動を続けるジャーナリストで、同書(映画の原作)は2017年、ディスカバー・アウォーズのノンフィクション部門で最優秀賞を受賞している。

 彼女は、『シネマトゥデイ』(映画情報を提供するウェブサイト)のインタビュー(2021年2月20日配信)に答えて、同書を執筆した動機について、次のように語っている。

 ☆正直、ある雑誌を読むまでは、ノマド生活をする人の存在すら知らなかった。その雑誌には、アマゾンのプログラムで働き、RV(住居用のスペースが付いた自動車)で暮らし、(貯金がなく、年金も少なくて)引退することのできない高齢者の人々が記されていたの。アマゾンのプログラムは、そんな人々のためにあるけれど、わたしはそんなプログラムがあることを聞いたことさえもなかった。

 ☆ただ、私自身はサブカルチャーに興味があり、さらにデジタル時代と労働の接点にも興味があって、アマゾンのプログラム、Camper Force(プロダクトの配送が忙しくなる秋からクリスマス頃までの巨大倉庫での季節労働のこと)を知ったの。そこには何千以上の人々がいて、アマゾンのプロダクトをパッケージする人から、クリスマスツリー、パンプキン、花火などを売る人までいて、(あまりの衝撃に)頭が爆発しそうになった。

 また、訳者の鈴木素子さんは、ブルーダーが取材した現代のノマドの背景について書いている。

 本作品タイトルの「ノマド」は、本来は遊牧民や放浪者を意味する英語だ。日本では決まったオフィスに縛られずカフェやレンタルスペースで働く人を指してノマドと呼ぶことがあるが、本書のノマドは比喩的表現ではない。文字どおり、放浪する人々だ。本来の意味でのノマドが、現代アメリカに出現しているのである。(中略)

 現代アメリカのノマドは、二〇〇八年の金融危機のあおりを受けて住宅を手放し、車上生活に移行した人が多いという。当時のアメリカでは、サブプライムローン(※信用度の低い借り手向けの住宅ローン)の破綻とともに住宅の差し押さえ件数が急増した。(中略)追い打ちをかけるように、リーマンショック(※2008年9月、米大手証券会社・投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻)後のアメリカでは、不動産価格の高騰が止まらなくなっている。その結果、富裕層と低所得者層(低所得者層は住宅補助を受けられる)を除く中間所得層が、高騰する家賃を払えずに悲鳴を上げる事態になっている。
(『ノマド 漂流する高齢労働者たち』「訳者あとがき」351~352ページ)

 近年、わが国でもパソコンやタブレットなどのIT機器を用いて、オフィスだけでなくさまざまな場所で仕事(リモートワーク)をする新しいワークスタイルが定着し、そのような働き方をノマドワーキング、働き手をノマドワーカーなどと呼ぶようになった。コロナ禍が猛威を振るう昨今では、自宅居室でのリモートワークに加えて、キャンピングカーの内部を改装して「移動式リモートワーク」を行うノマドワーカーも増えている。また、三密回避の目的で、キャンピングカーで郊外のオートキャンプ場に一家で出掛け、大人は車内でリモートワーク、子どもは屋外で遊ぶパターンも多く見られるようになった。

 しかし、アメリカにおける高齢者の「ノマド」事情には、さきに鈴木さんが「訳者あとがき」で紹介しているように、わが国とはいささか異なった背景があるようだ。

 超富裕層を除く一般的なアメリカ人の公的年金の受給額(月額)は、2020年6月時点での米社会保障庁のデータによると、退職前35年間の月平均給与額により数百ドルの差はあるが、たとえば62歳(受給開始可能年齢)で1130米ドル(約11.6万円)、66歳(満額受給)で1488.55米ドル(15.3万円)、70歳で1612.41米ドル(16.6万円)前後だという。となれば、貧しい高齢者がアメリカでの格差社会を自力で生きのびるには、高い家賃や住宅ローンの負担から逃れるために家を捨て、ひとつはホームレス(路上生活者)となるか、もうひとつは車上生活のワーキャンパー(キャンピングカーで移動しながら働く人の意。ワークとキャンパーを合成した造語)となり、アマゾン・ドット・コム倉庫(キャンパー・フォースでの季節労働)、キャンプ地での夏季限定・短期雇用スタッフ、ビーツ(根菜)の収穫期に合わせた季節労働など、1年間の労働シフトを組みながら、自力で生きのびるための糧を稼がなければならない。

 この映画は、2010年、ネヴァダ州の企業城下町、エンパイアで暮らす60歳代のファーンは、石膏ボード製造会社の工場閉鎖ととともに、住み慣れた家(社宅)も失うところから始まる。夫に先立たれた独り身のファーンはキャンピングカーに荷物を詰み、仕事を求めて旅立つ。アマゾンの倉庫で臨時雇いの仕事(キャンパー・フォースでの季節労働)に就いたファーンは、同僚のリンダ・メイ(実名登場)と親しくなり、彼女からアリゾナの砂漠(クォーツサイト)で開かれるRTR(ラバートランプ集会)に誘われる。そこでは、ノマドのまとめ役であるボブ・ウェルズ(実名登場)が企画した集会が開かれ、ファーンも温かく迎えられる。映画の後半では、RTRで出会ったデイヴとの交流――大人の恋の雰囲気が漂う――も始まるものの、孫の誕生をきっかけにデイヴは息子たちが住む家に帰っていく。しかし、ファーンはその別れを淡々と受け止め、もとのノマド生活に戻っていく。

 この先は、「映画を見てのお楽しみ」だから、あえて詳述を避ける。しかし、同書を執筆するためにリンダ・メイに同行し、自らキャンプ場スタッフやアマゾンのキャンパー・フォースでの就業体験、ボブ・ウェルズの車上生活セミナーに参加するなど、実際のノマドたちに同行取材しながら同書を書き下ろした、ブルーダーのノンフィクションライターとしてのジャーナリスト感覚が、原作には登場しない主人公のファーンの感性にそのまま投影されている。ファーンは物語の主役であると同時に、〈21世紀のアメリカを生きのびる〉ノマドの現在と未来を演技で示す、素敵なストーリーテラー(物語の語り手)でもある。

 まさか自分が放浪生活をするとは思いもしなかった人々が、続々と路上に出ているのだ。昔ながらの家やアパートに住むことを諦めて、「車上生活」に移り住んだ、現代のノマドである。彼らにとってはどんな車も「住宅」になり得る。トラック、中古のRV(キャンピングカー)、スクールバス、ピックアップキャンパー、トラベルトレーラー、ただの古いセダンに住む者さえいる。かつての中産階級が不可能な選択を迫られた結果、”ふつうの暮し”に背を向けて立ち去りつつあるのだ。(中略)

 彼らを”ホームレス”と呼ぶ人もいるが、現代のノマドはそう呼ばれるのを嫌う。避難所と移動手段との両方をもつ彼らは、”ホームレス”ではなく”ハウスレス”を自称している。
(『ノマド 漂流する高齢労働者たち』「まえがき」10~11ページ)

 ブルーダーは、この新しい「ノマド」たちを、「2000年代に入ってからは、新種のトライブ(新しい組織のかたち。インターネットやSNSの普及によって、所属する組織や地域とは無関係に、共通の興味や目的のもとに情報を共有する)が出現している」という言葉で定義している。

 やはり同書が紹介したボブ・ウェルズの言葉から、「21世紀のアメリカを生きのびる」というサブタイトルは、1930年代に災害によって農地を奪われた難民たちが「生きる」ために求めた希望ではなく、住み家と移動手段を併せ持つワーキャンパーたちの、新しい「ライフスタイル」であることがよく理解できる。

 ダストボウル(一九三〇年代にアメリカ中西部で吹き荒れた砂嵐。農地が耕作不能となった原因)が多数の難民を生んだ三〇年代に「オーキー」と蔑まれたオクラホマ州の難民にとって、自尊心とはすなわち、たいせつな希望の残り火を絶やさず燃やし続けることだった。それは、いつかすべてが元通りになり、普通の家に住める日がくる、そうしてわずかばかりの安定を取り戻せるはずだ、という希望だった。

 ボブも、彼の影響を受けた多数のノマドも、車上生活をそれとは異なる角度から見ている。ボブの予想では、アメリカでは将来、経済的、環境的大変動が日常的になる。だからボブは、ノマド的生活を、社会が安定を取り戻すまで乗り切り、時期が来ればまた一般社会に戻るための、その場しのぎの解決策とは考えていない。むしろ彼が目指しているのは、壊れつつある社会秩序の外で(さらにはそれを超越したところで)生きられる、さまよえるトライブを生み出すこと。つまり、車輪の上のパラレルワールドをつくることなのだ。
(『ノマド 漂流する高齢労働者たち』第4章「脱出計画」115~116ページ)

 映画の最終シーン。ファーンはかつて亡き夫と暮らしたエンパイアの社宅(当時)を訪れる。そして、倉庫に残っていた荷物を処分し、再びキャンピングカーに乗って、次の仕事をさがす旅に出る。そこには明るい未来や、希望に満ちた暮しはない。それでも、天(神)を恨まず、他人を羨やむこともなく、ノマド仲間の連帯を通して生きのびるファーンの決意、静かな覚悟が伝わってくる。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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