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連載「つたえること・つたわるもの」(73)

免許更新の高齢者講習。摩耗するタイヤ、明け渡しのレッスン。

連載 2019-09-10

 これら(動体視力・夜間視力・視野角度減退)の症状を、一般的には「衰え」というが、これを和語(やまとことば)でいうと「やまひ(病ひ)」となる。「やまひ」は「やまふ(病ふ)」の名詞化で、「やむ(病む)」と同義語の「まふ(耗ふ)」との合成語。「やむ(病む)」は「やむ(止む)」、つまり生命活動が停滞する意があり、「まふ(耗ふ)」には勢いを失う、動きが静まる意がある。上代日本人は、それまでできていたことが、急に、あるいは徐々にできなくなった「やむ(止む)」状態を、「やむ(病む・止む)」+「まふ(耗ふ)」=「やむ・まふ(病ふ)」→「やまひ(病ひ)」ととらえたのである。

 「やむ(止む)・まふ(耗ふ)」からだを車のタイヤでいえば、静止視力はタイヤの摩耗(スリップサイン)、その他の動体視力・夜間視力・視野角度減退はタイヤの偏摩耗(空気圧の不足・過多、アラインメントの狂い、ローテーション不足、急ブレーキ・急ハンドル)にたとえられるかもしれない。摩耗したタイヤは新品のタイヤと交換すればよいが、「やむ(止む)・まふ(耗ふ)」からだのほうは残念ながら、新しいからだと交換することはできない。したがって、一般的には75歳以降の高齢ドライバーは、高齢者講習(実車指導+各種視力検査)を受けることで、タイヤのスリップライン(残溝1.6mm)チェックと同じ効果が期待できる。タイヤの摩耗(身体能力の減退)は、誰にも避けられない現実である。

 『ライフ・レッスン』(エリザベス・キューブラー・ロス&デーヴィッド・ケスラー著、上野圭一訳、角川文庫、2005年)の「明け渡しのレッスン」には、人生における「明け渡し」と「降伏」のちがいについて、次のように書かれている。

 明け渡しと降伏には大きなちがいがある。降伏とは、たとえば致命的な病気の診断をうけたときに、両手をあげて「もうだめだ。これでおしまいだ!」ということだ。しかし、自分を明け渡すことは、いいとおもった治療を積極的に選び、もしそれがどうしても無効だとわかったとき、大いなるものに身をゆだねる道を選ぶことである。降伏するとき、われわれは自分の人生を否定する。明け渡すとき、われわれはあるがままの人生をうけ入れる。病気の犠牲者になることは降伏することである。しかし、どんな状況にあっても、つねに選ぶことができるとかんがえるのが明け渡しなのだ。状況から逃げ出すのが降伏であり、状況のただなかに身をすてるのが明け渡しである。
(同書303ページ)

 たとえば、自主的な運転免許証の返納を「明け渡し」、事故を起こしてからの免許停止を「降伏」ととらえることはできないだろうか? また、いつ明け渡せばよいのだろうか? もう一度、同書を読んでみる。

 安心できないとき、それが明け渡すときだ。

 行きづまったとき、それが明け渡すときだ。

 自分はすべてに責任があると感じたとき、それが明け渡すときだ。

 変えられないことを変えたいとおもったとき、それが明け渡すときだ。

(同書312ページ)

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう) 
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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